つけびして 煙り喜ぶ 田舎者 かつを – 山口連続殺人放火事件容疑者の、諧謔を解する余裕はなぜなくなったのか

 

つけびして

つけびして の川柳は、事件の9年ほど前から貼られていた?

先日、初公判が行われた山口連続殺人放火事件。

14人の集落で5人が殺害されるという事件の凄惨さはもちろん、小さな集落ゆえのこじれた人間関係(容疑者へのいじめ?)から、現代の八墓村などと呼ばれ、注目を集めた事件です。

中でも事件の特異さを際立たせたのは、画像の川柳です。

保見容疑者によれば、「つけびして」は集落内で自分への悪いうわさを流すという意味、 「田舎者」は集落の人を指したつもりで、自分の気持ちを知って欲しかったとのこと。

この川柳に接して、世間には容疑者への同情的な空気も広がりました。

諧謔を解するには、心の余裕が必要

この川柳、コピー的に見ても完成度が高いです。

自分の置かれた状況を比喩化して、婉曲的に伝えようとしている。

そこにあるのは、周囲との軋轢を避けようとする気遣いの心です。

そして最後の「かつを」の雅号。これは言うまでもなく、会田みつをのパロディでしょう。

元来、こうしたパロディはもちろん、川柳そのものも、諧謔=しゃれや冗談、ユーモアを楽しむもの。

つまりこの張り紙を貼った事件から9年前の保見容疑者は、まだ心に冗談を楽しむ余裕があったと思うのです。

それがこのような事件を起こすまでに追いつめられてしまった。この9年に、この事件の本当の闇は潜んでいるのでしょう。

そんなことを考えさせられる、ある意味名コピーと言えます。

保見容疑者は、初公判で無罪を主張しているといいます。

「私は無実」と保見光成被告

山口県周南市金峰の集落で2013年7月、男女5人が殺害された事件で、殺人と非現住建造物等放火の罪に問われた無職保見光成被告(65)の裁判員裁判の初公判が25日、山口地裁(大寄淳裁判長)で開かれ、被告は罪状認否で「火は付けていません。頭をたたいてもいません。私は無実です」と述べた。

検察側は冒頭陳述で、被告の収入や近隣トラブルなどから「生活が立ちゆかなくなって自殺を決意し、死ぬならうわさを立てて挑発した近隣住民に報復しようと考えて一連の犯行を決意した」と動機を指摘。「妄想性障害があっても、犯行に与えた影響は少ない」と主張した。

引用:新潟日報モア

裁判の様子を描いたイラストでも、憔悴した保見容疑者の姿が見て取れます。

起こした事件の罪は消えませんが、ここまで追い詰められてしまった容疑者に、同情を覚えてしまうのもまた事実なのです。

裁判の行方を見守りたいと思います。

 

 

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