神戸連続児童殺傷事件の元少年Aが書いた手記 – これ以上ない販促(反則?)コピーをまとって世に出た『絶歌』を読む。

   2015/09/10

元少年A 絶歌

酒鬼薔薇聖斗がまさかの手記出版! 賛否を巻き起こした一冊『絶歌』を読む

1997年に日本中を震撼させた、神戸連続児童殺傷事件。

逮捕された当時14歳の少年・通称「酒鬼薔薇聖斗」が、18年の沈黙を破って2015年6月、手記を出版しました。

突然の出版、そして遺族へ無断の出版であったことから、世間では出版差し止めを求める声や不買運動が巻き起こり、また取り扱いを拒否する書店が表れるなど、批判的な反応が噴出しました。

一方で、発売から2週間の間に15万部を売り切り、7月1日の時点で累計25万部に達するベストセラーになっています。

そう、ことの是非を横に置いて考えると、この手記は疑いようもなく、ユーザーの「読みたい」という欲求を非常に刺激する「売れるコンテンツ」であったのです。

あれだけの事件を起こした犯人が、犯行当時なにを考えていたのだろう?

どのようなきっかけがあって、モンスターのような少年はできあがってしまったのだろう?

警察や新聞社への犯行声明は、どういった意図で書かれたのだろう?

逮捕の後、医療少年院でどう過ごし、どのような人生を歩んできたのだろう?

少年A逮捕直後に、少年の顔写真が週刊誌に掲載されたことがありました。

そのとき週刊誌は「自衛のために、市民には少年の顔を知る権利がある」などと理屈をつけました。

しかしこの理屈は後付けでしょう。

人は得体の知れないものを、ただただ「知りたい」のだと思います。単純に。

明確に本の扉や帯に書いてあるわけではありませんが、「神戸連続児童殺傷事件の元少年Aが書いた手記」という販促コピーは、そうした人間の根源的な欲求を捉え、まさに反則級にインパクトのある宣伝文句として機能したのです。

「絶歌」という地味なタイトルや帯コピーでも売れるという計算

出版社にはビジネスとして、大々的に「少年Aが犯行時の心境を赤裸々に語った!」みたいな煽り文句を流さなくても売れる、という計算があったように思います。

「神戸連続児童殺傷事件の元少年Aが書いた手記」という事実だけで、世間へのインパクトは十分。

その表れが、「絶歌」という一見事件のことを連想させないタイトルであり、白を基調とした装丁であり、控えめなサイズの帯コピーだったのではないかと。

しかし、UKP的には、この帯コピーが非常に気になってしまいました。

1997年6月28日。
僕は、僕ではなくなった。

帯にはこうあります。

この一文は手記の冒頭に出てくる記述でもあるのですが、つまりこの手記を書いた元少年Aは、「僕は、僕ではなくなった」のは「1997年6月28日」であると認識しているということですよね。

1997年6月28日というのは、少年Aが逮捕された日です。

つまり彼は、「逮捕された日から自分は自分ではなくなった」と思っているということになります。

UKPはここに非常に違和感を感じました。

本当に彼が被害者を殺めたことを後悔し、反省しているのならば、この日付は最初に事件を起こした1997年2月10日、またはタンク山で殺人を犯した5月24日や遺体を中学校の正門にさらした5月26日となって然るべきでしょう。

これでは、逮捕されたことを悔やんでいるようにしか受け取れない…直感的にそう感じてしまいました。

1997年6月28日。
僕は、僕ではなくなった。

酒鬼薔薇聖斗を名乗った少年Aが18年の時を経て、自分の過去と対峙し、切り結び著した、生命の手記。

「少年A」――それが、僕の代名詞となった。
僕はもはや血の通ったひとりの人間ではなく、無機質な「記号」になった。
それは多くの人にとって「少年犯罪」を表す記号であり、自分たちとは別世界に棲む、人間的な感情のカケラもない、
不気味で、おどろおどろしい「モンスター」を表す記号だった。

手記の冒頭ではこのように、「僕は、僕ではなくなった」=「少年Aという記号になった」という書き方をしています。

しかし、やはりワタクシには逮捕されたことを悔やんでいる風にしか見えず、非常に不安な心境に陥りました。

中二病全開の第一部と、別人のように理性的になった第二部

おっと、肝心の本の内容について触れていませんね。

この本は犯行当時を振り返った第一部と、逮捕後から現在までを綴った第二部という構成になっています。

詳しい内容はさまざまなレビューが書かれていますから、そちらを読んでいただくとして、まず第一部をひとことで言うと「中二病全開の小説もどき」ですかね。

情景描写や心理描写が、これでもかとばかりにごてごてした装飾で飾られて表現されています。

ナルシシズムの極致といいますか、純文学にかぶれた学生さんの書く、私は他の人とは感性が違うのよ!という主張がほとばしるブンガク作品、といった趣です。

読んでいて、いろいろな意味でぞくぞくしてしまいました。

一方で第二部は、そういった耽美的表現は鳴りを潜め、非常に理性的な筆致で逮捕後の日常を恬淡と語っています。

こちらは読んでいて「フィクションだったら楽しめたろうになぁ」という思いを抱きましたので、普通に読み物として評価できる完成度だったのではないでしょうか。

こうなると気になるのは、この第一部と第二部の書かれた時期ですね。

もしかして、第一部は、犯行当時から書かれていた文章を編集したものなのでは?

そのぐらい、第一部と第二部の差は激しいです。

太田出版の編集者が、狙ってそのように書かせている、という可能性も否定できませんが。

というわけで、レーダーチャートです。

これ、第一部は犯行当時で、第二部は更生後、であってほしいなぁ。

もしも第一部が現在の少年Aによって書かれたのだとしたら、きっと彼は更生なんてしていないでしょうから…。

購入はコチラ → 絶歌 神戸連続児童殺傷事件 – 元少年A (著)

追記

元少年Aが手記に続き、公式ホームページを立ち上げたそうです。

コチラにて取り上げております → 存在の耐えられない透明さ – 神戸連続児童殺傷事件の “元少年A” が公式ホームページを開設 の衝撃

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